2021.12.23

プレイアート・ラボvol.2「コミュニティアート、これまでの変遷と草の根活動」開催レポート(前編)

9月13日(月)に開催された、プレイアート・ラボ第2回の開催レポート。
今回は、90年代、まだコミュニティアートやアートマネジメントという言葉が浸透していなかった頃から、実践を先んじて走り続けているミューズカンパニーの伊地知裕子さんから、お話を伺いました。また聞き手にはエイブル・アート・ジャパンの柴崎由美子さんを迎えました。過去20年のコミュニティアートの変遷と、市民の中から生まれるプロジェクト、特に障害のある人との取り組みを紐解きながら、仙台におけるこれからのコミュニティアートを考える機会となれば、幸いです。
(後編はこちらから)

【スピーカー】
伊地知裕子(クリエイティヴ・アート実行委員会プロデューサー/ミューズカンパニー代表)
柴崎由美子(NPO法人エイブル・アート・ジャパン代表)

聞き手 及川多香子(PLAY ART!せんだい)

ゲスト・伊地知さんの物語

柴崎:まず、伊地知さんのこれまで歩んできた物語を教えていただけますか?


伊地知:1991年に、障害がある人とない人のカンパニーを立ち上げていたイギリス人の講演をきっかけに、月に1回、障害のある人と、ダンスや音楽をやっている人を招いてワークショップをするようになりました。続けていくと、いろんなオーガナイザーの方が、ワークショップに参加してくださったり、ダンス・音楽・美術の作家がそれぞれのアート活動を始めていくこともありました。

それまでは、自分の活動が何なのか知らないまま進んできましたが、あるとき、イギリスの方に「あなたがやっている活動は”コミュニティアート”と言って、イギリスにはいろんな活動があるんですよ」と教えていただき、3ヶ月ほどイギリスでコミュニティアート団体の調査をしました。目を開かされるような他県でした。コミュニティアート団体が地域の人たちに自分自身を語ってもらうアート活動を、本当に地道にやっていたんですよ。みんなエネルギッシュで、自分がやっている仕事に対して情熱と誇りを持っていた。すごく私にとっては勇気を与えてくれた活動でした。

これまでやってきた活動で特に印象的だったのは「私と町の物語」。これは後ほどご説明しますね。ごく普通のおばさんだと思っていた人が素晴らしい物語をもっていて、すごく感動したんです。1人1人に物語がある、1人1人に人生があるんだと思いました。それまで障害のある人とのアート活動が中心だったんですが、地元のふつうの商店街の人たちの物語もすごく心惹かれることがあった。それが最終的には展覧会になりました。1人1人の物語を、写真と物語で紹介する展覧会。地域の文化資源もテーマにしたアートプロジェクトになっていき、とてもいいプロジェクトです。

柴崎:コミュニティアートは一見、障害のある人たちとの活動かと思われる方も多いと思うのですが、イギリスではどんな方たちが参加されているんでしょうか?

伊地知:コミュニティアートは、どちらかといえばマイノリティの人たちをエンカレッジするもの。だから障害のある人たちやご高齢の方、イギリスだったらアジア圏、アフリカの方々も参加している。異なる文化の方々をインクルーシブした活動をやっていかないといけないぜという気持ちがあって生まれたものだと思います。マイノリティの方たちが発言できる機会を、アートを通して作るべきだという運動が1960年台の終わりごろにありました。

柴崎:なるほど。伊地知さんはよく、カルチュラルデモクラシーについてもおっしゃっていますね。それは、どんな考え方なんでしょうか?

伊地知:私たちはアーティストで、あなたたちは見るひとよ、という構図を壊すこと、誰もが表現を通して自分を語ることができるんだという、そういう考え方だと思います。マイノリティの考え方であっても、民族の異なる文化であっても、遜色なく活動していくべきだというのが、カルチュラルデモクラシーという考え方ですね。

プロジェクト「私と町の物語」について

柴崎:とても大事にしているプログラム、「私と町の物語」について教えてください。

伊地知:「私と町の物語」は港区で行っていたプロジェクトです。普通にその街に住んでいる人たちに写真を見せてもらい、その時のお話を聞かせてもらう。そうして、街を浮かび上がらせるプロジェクトです。初めの1、2年はとても苦労しました。ワークショップに来てもらって、みんなに物語を書いて貰えばすぐできると思っていたけれど、とんでもない。自分から書き出すことは難しいのよね。それがわかってからは1人1人の人たちに聞き書きを始めました。有線放送や回覧板もないから、誰かお1人に写真をお借りしてお話をできたら、その人に誰か他の人を紹介していただく芋づる方式で集めていった。

俳優座劇場がある六本木の交差点、愛宕神社での盛んなお祭り、床屋さんをお母さんがやってる懐かしい写真。東京タワーができるときの写真、タバコ屋のおばあちゃん。それから港区は桟橋があって、日の出埠頭から南極に船が出ていく写真などを集めてお話を聞いて行ったんです。

そんな活動から、アーティストレジデンスが始まります。高齢者の方々にお話を伺って、詩を作るためのレクチャーを谷川俊太郎さんにしていただいたり、職人さんを子供たちが取材をして原稿を書くなんてことも。それから、赤坂サウンドアートという、音の風景のような作品を作りました。あっちこっちに行って音を集めたり、高齢者の方々に私はどんな音が聞こえてましたか?とインタビューするんですよ。

インタビューの中で一番面白かったのは、「街にはお店がなかったんだ」と話すおじさんのお話。お店の代わりに、昼になったら朝顔売りが来たり、パイプのキセルを掃除をする人たちが来たりしたんですって。その度ごとに路地に人が集まってきては立ち話。そんなシステムが生活の中にあり、いろんなコミュニケーションができる場があったんだと気づくこともありました。とっても面白いプロジェクトだった。プロジェクトは全て、一人一人が場所の主人公。人と人とが関わる場を作りたい。そういう思いから、やっていました。

コミュニティアートと、作家の作品の違い

柴崎:著名な、実力のあるアーティストともコラボレーションしていたんですね。アーティストたちにお願いするときに何か重視していた視点はありますか?

伊地知:私がいいなと思ったアーティストにお願いしていましたね。谷川さんは以前から繋がりがあったので、お話しやすかったんですよ。学校の教科書にも載ってる方なので、一緒にプロジェクトやってくださってると、信用に繋がるところもありましたね。

柴崎:「私がいいなと思うアーティスト」の視点をぜひもう少し突っ込んで聞かせてもらえますか。どんなアーティスト、あるいは、どんな姿勢がコミュニティアートにおいては重視されると思いますか?

伊地知:コミュニティアートと、アーティストinコミュニティについてお話しましょう。

コミュニティアートは、あくまで主体を人々に活動し、アーティストはサポートになる。オーナーシップは、人々にあります。それに対して、アーティストinコミュニティは、アーティストが街にやってきて、景観だったり地域の歴史を咀嚼しながら作品を作る。完全な個人のアート活動ではなく、その地域のいろんなものを、表現のマテリアルとしながら作っていく。作品のオーナーシップはアーティストにあるんですね。

やっていることは同じ、作品の創造です。コミュニティアートでは、集団的に創造活動をするんです。コミュニティあるいはグループが表現し、それを通して、自らの声、コミュニティのアイデンティティを表現する。

柴崎:オーナーシップという言葉が出ましたが、それは日本語に置き換えるとなんて言えますか?

伊地知:オーナーシップは、自分自身の制作に対して、責任を持っているということです。作品を作るプロセスにおいて、私がこういうふうな作品を作りたいと思ってるということ。似たような言葉で、オーサーシップというものもあります。これは、自分がアーティストであるという権利を私が持ってます、という、人格権に近いことですね。私が作ってる人ですよということです。コミュニティアートにおいて、それは人々にあります。アーティストはあくまでサポート。

伊地知:コミュニティアートって説明するのがかなり難しいんですよね。例えば日本の盆踊りはコミュニティアートではないと、イギリスの団体の人は言うわけですよ。従来の受け継がれてきた活動をそのままコミュニティの人々が共有だけでは、自らのクリエイションが入っていないってね。

つまり、コミュニティアートの始まりには、創造が必要なんです。そのクリエイションを、人々とともに行うものことなんです。例えば、アーティストがやってきてとっても素敵なものができましたね。ではだめで。ただ、その人々が作った作品だから、コミュニティアートだから、全ていいかというとそうではない。コミュニティアートじゃないからこそ面白いこともありますね。

▼後編はこんなお話に▼

・アーティストと地域の人たちが一緒に作品を作るということ

・コミュニティアートにおける作品の質

などなど。

後半もどうぞお楽しみに!

(文:熊谷麻那)

助成:公益財団法人仙台市市民文化事業団 
   多様なメディアを活用した文化芸術創造支援事業