2021.12.23

プレイアート・ラボvol.2「コミュニティアート、これまでの変遷と草の根活動」開催レポート(後編)

9月13日(月)に開催された、プレイアート・ラボ第2回の開催レポート後編。
今回は、90年代、まだコミュニティアートやアートマネジメントという言葉が浸透していなかった頃から、実践を先んじて走り続けているミューズカンパニーの伊地知裕子さんから、お話を伺いました。過去20年のコミュニティアートの変遷と、市民の中から生まれるプロジェクト、特に障害のある人との取り組みを紐解きながら、仙台におけるこれからのコミュニティアートを考える機会となれば、幸いです。

(前編はこちらから)

【スピーカー】
伊地知裕子(クリエイティヴ・アート実行委員会プロデューサー/ミューズカンパニー代表)
柴崎由美子(NPO法人エイブル・アート・ジャパン代表)

及川多香子(案内役・PLAY ART!せんだい)

地域の人と作る作品の質について

柴崎:私たちアートNPO、福祉NPOは、作品の質にもこだわるべきだと伊地知さんはよくおっしゃられていますね。作品の評価や質について、どのように考えているか教えていただけますか?

伊地知:ここは、なかなか難しいところです。

コミュニティアートにおいて、プロセスとプロダクトは同等に価値があります。コミュニティアートはプロセスが重視されがちなのですが、地域の人たちも作家も、その作品を通して世界とコミュニケーションするわけですから、作品がつまらないのはどうかな、と私は思うんですよね。だからといって、作品を良くするためにアーティストが全部作るとコミュニティアートとは言えない。その辺りをオーガナイズする人が見ている必要があると思います。

柴崎:ありがとうございます。最後に、文化的民主主義について、お話お伺いできますか? 

伊地知:文化的民主主義と、もう1つ、文化の民主化というのもありますね。文化の民主化は、いいと言われているアートを人々に紹介していくという活動です。これは必ずしも悪いことではないですが、人々は、アートを享受することになるんですよね。もちろんそれはとても大事なことで、鑑賞するところからいろんなヒントを得ることができる。

ただそれだけではなく、自分たちが創造していくことがやはり大事です。また、マイノリティの人たちの文化も、メジャーな文化と同様に価値がある。多様な人々や文化を包摂することが大事ですね。文化的民主主義とは、そんなところでしょうか。

コミュニティアートに必要な、アーティスト力

及川:私たちがプレイアートせんだいを設立するときに思ったのは、”文化資源”を社会に生かそうということでした。今日「私と町の物語」の経緯を聞きますと、”文化資源”を、私はは大きく捉えすぎていたと感じました。

例えばアーティスト、例えば町にあるものと思いがちでしたが、実は普通の人たちの普通の人生や物語の中に文化資源が潜んでいるんですね。アーティストはそれを形作る、導く存在。今すでにあるものを、うまく発信できるように介入することが、コミュニティアートなのかもしれない、と思いました。

伊地知:そうですね。

コミュニティアートもアーティストinコミュニティも、どっちがいいということはなく、両方アートとして必要なんだと思います。日本の中では、地域の人々が「自らアート活動なんてそんな」と思いながら暮らしている。だからこそそういう人たちが表現しやすい場を作る工夫はすごく必要です。そんなみなさんを勇気づけていくことが大事かなと。

及川:伊地知さんの取り組みは、谷川俊太郎さんや山越さん、山田さんなど、すごく優秀なアーティストの方たちと組んでいらっしゃいますよね。どういうアーティストと組むかがやはりすごく重要だと感じています。プレイアートせんだいも、これからアーティストとどう組んでいくか、どうやってそんな人たちを見つけていくか、が活動の要になるんですが、伊地知さんが「いい」と思うアーティストはどんな方なのでしょうか? 

伊地知:つくっていらっしゃる作品がいい方ですね。

谷川俊太郎さんはワークショップをしてくださる時、「こんなふうに詩を作りなさい、こうしなさいよ」がないんですよ。「アイウエオがあって、それに言葉をあてていくだけで、ほら詩はできるでしょ?」と教えるわけです。アーティストは、マイノリティの人たち、市井の人々が、どんなときに自分を語ることができるかをわかっている必要があると思います。

アーティストの持つ1つの手法を紹介したとき、参加者が勝手に自分のアイディアでやっていく。いかにアイディアを出させる手法を持ってるかが、アーティストには重要だと思います。

地域の方と作品をつくる難しさ、面白さ

参加者:私はダンスをしておりますが、作品づくりの中で地域の方と関わるなかで、思い当たる節がたくさんありました。

つい最近制作していた映像作品に、ダンス未経験の方々に参加いただきました。コミュニティアートではなく、アーティストレジデンス、アーティストが主体となった作品の作り方。その中で、自分の考えやイメージを伝えながら動いてもらうと、出演してくれる方々の気持ちが動いていかないことがありました。参加者のかたがすごく受動的になってしまったんです。

そこで、私は質問をしていくことにしました。「こうしてほしい」ではなくて、「どう思いますか、どう感じますか、今何を感じてますか」と、質問で問いかけていく。すると自分の想像以上のいろんなアイディアが出てきました。自分の頭から作品が離れていき、それ以上のものが立ち上がっていくことを体験しました。

伊地知:自分のアイディアが何か生かされることが、オーサーシップでもありますね。自分のアイディアを取り入れてもらって、それが作品の一部になっていく。そこはすごく大事なところだと思います。

ただ例えば、アーティストに「自分の作品をこうしたい、作っていきたい」というイメージがしっかりあるのであれば、それは地域の人たちである必要があるのか。ということも考えねばなりませんね。むしろプロの人たちに頼んで注文をしたほうがいい場合もあるかもしれない。あまり踊ったことのない人たちの身体性を生かすのであれば、地域の人たち、障害のある人たちの何らかの身体性が生きること、彼らのアイディアを生かさないと、あんまり面白くないかもしれないですよね。

ここは非常に難しいところです。作品を作る上で、演出家、クリエイターは独裁者になりえます。極端な言い方をすれば。私はこういうのを作りたいからみんな協力してよ、と。コミュニティアートの場合は、あなたたちはどんな作品を作りたいの?というところから始まるんです。そこをどうバランスを取るかは大事ですよね。

地域の人たち、あるいは障害のある人たちが、どうしたら自分の個性を出していけるかを考えながらやっていく。そのときに大事なのが、アーティスト力なんだなと思います。アーティスト力がないと、障害のある人、市井の人々に、いい絵を、いい作品を導いていく、サジェスチョンが難しいのかなと思います。上手に作品にしていかないと、学芸会になっちゃう。そこがやっぱり演出家・アーティストの力の見せ所。人々から物語を紡いで演劇にする人は非常に少ないので、少しずつその方々にも慣れていただくことが必要なのかなと思います。

アーティストだけでなくオーガナイザーも、いい演劇を見ていて、見る目がないと批評ができないですよね。例えば、障害者施設では、利用者さんの描かれた作品を捨てちゃうこともあるんですよ。そこの中に実はお宝はいっぱいあるのに。また何か変なことやってるわと思うのか、なんて素敵なんだろうと思うか。そこはやはり、振付家としての視点を持っているか、従来のダンスや技術の枠組みを超えて見る目を持ってるかどうか、つまり現代美術を見る目を持ってることが、すごく大事なのかなと思います。

(文:熊谷麻那)

助成:公益財団法人仙台市市民文化事業団 
   多様なメディアを活用した文化芸術創造支援事業