2022.07.28

文化芸術・地域・文化施設をつなぐ コーディネーターの現在地とこれから。(後編)

2022年6月11日(土)に開催された、プレイアート・ラボ 第5回の開催レポート。

現在、私たちの活動拠点である宮城県や仙台市では、新しい文化施設の建設検討が進められています。ハード部分の整備が進められる一方で、ではどんな場になるといいのだろうか。文化施設がよりよく活躍するためには、アーティストや地域、文化施設をつなぐコーディネーターが重要なのではないだろうか。

そこで今回は、文化芸術分野でコーディネーター的な役割を担う人に、丁寧にインタビューし膨大な量の情報を「75の糸口」としてまとめた「令和3年度地域と文化芸術をつなげるコーディネーター インタビューによる事例調査」を、STスポット横浜理事長の小川智紀さんと読みときます。

改めて、コーディネーターの存在はどんなものか。これから私たちはどうしていくべきか。皆さんの参考になればさいわいです。

PDFのダウンロードは下記から

【スピーカー】

小川智紀(特定非営利活動法人STスポット横浜 理事長)

【案内役】
及川多香子(PLAY ART!せんだい)

》》》スピーカープロフィールおよび前編はこちら


後編

8. いいコーディネーターは、いい生活者。

9. 誰もが崖っぷちで生きる今。アートは静かに生活に溶け、勇気づけるものに。

10. これからのコーディネーターの位置づけ。あるいは、私たちの闘い方。

>>>前編中編はこちらから。

いいコーディネーターは、いい生活者。

及川:小川さん、貴重なお話をありがとうございました。コーディネーターはあまりに、複合的で、複層的で、多面的なもの。「コーディネーター」という言葉が示すものは明確化されていないのではないのでしょうね。社会の変遷のなかや、どのような文脈の中で言われるかによって、アメーバのように形を変えていくものなのだろうと感じました。だからこそ理解しにくい部分もあり、ジレンマですね。冒頭にあったコーディネーター変遷の図[o1] を見ますと、社会課題が多様化・複雑化していることに伴って、コーディネーターという役割の人々の数が増えないと、問題解決しないのではないかと思いました。今回は参加者として参加いただいている、えずこホール(*5)館長の水戸雅彦さんにもお話をぜひお伺いしてみたいです。

水戸:ありがとうございます。地域創造の報告書にもありますが、今後はますますコーディネーターが必要になってくるということはもう明白です。小川さんの話にもありましたが、コーディネーターの仕事に境界もなくなってきている。さらに言えば、いわゆる公立文化施設で働く人は、みんなコーディネーターになるべきだと私は思っています。これは組織論の話でもあり、ヒエラルキー型の組織はますますうまく回っていかなくなっていく。最近よく耳にするようになった『ティール組織』(*6)など、そういう形になっていかないと生き残っていけない。自分は演劇担当だから、演劇をやっていればいいということではない。それでは進まない。分野を横断し人とつながっていくことで、面白いものが生まれることを、想定しておいた方がいい。演劇には、音楽が入ったほうがいい、美術が入ったほうがいい、障害者、LGBT、マイノリティの人たちが入ったほうが面白い。共生社会とは何か、ということを、身体で感じてほしいと考えています。

小川:私はもともと、子どもと演劇の取り組みをする仕事から始めました。社会課題を解決したくて仕事を始めたわけではなかった。ただやはり子どもと関わっていると、いろんな子たちがいるのですよね。例えば、リストカットしてしまう子どももいれば、中学生なのに20歳年上の彼氏がいる子がいたり。訳のわからない子たちがいっぱいいるのです。それはそうと演劇を一緒につくろうよ、と。私はそういうところからスタートしているのです。

学校での仕事があるときは、できるだけ学校まで歩くようにします。道すがら、市営住宅がわあっと並んでいたり、産廃置き場がたくさんあることを知ったりする。こういう景色を見ながら子どもたちは歩いているのだろうと想像する。歩いていると地域のことが具体的に見えてきます。そこから、地域の助成金の仕事がやりたいなと思ったり。特別支援学校で生徒の卒業に遭遇したとき、気になって進路を聞くと「いやあ、働くのは難しいからね。おうちだね」と言われたりする。じゃあ、この子はどうなるのだろう? そこから、障がいのある人の居場所について考え出したり。

私が課題を見出すのは、現場でよくよく話を聞いてみたときですかね。課題だと思っていたことが実は課題ではなく、別の場に課題を見出したりすることがよくあります。

及川:とてもよくわかります。街を歩いてみることで、あるいは地域での生活の中で、気づくことはたくさんありますよね。つまり、いい生活者であることが、コーディネーターには必要なのでしょうね。

誰もが崖っぷちで生きる今。アートは静かに生活に溶け、勇気づけるものに。

参加者B:先ほど、創造型劇場のお話がありましたが、小川さんの考えとして「日常型劇場」というものもありますよね。それについて詳しくお聞きしたいです。

小川:先ほども言ったように「自由なクリエイションが生まれる創造型劇場こそが、劇場である」という考えのもとで進んできた文化政策があります。しかし一方で、そうではない、地域の生活のなかで地味に静かに頑張っている「日常型劇場」があるのではないかと気づいたのですよね。これは建物の類型の話ではなく、姿勢の話です。

劇場とはこれまで、「非日常」を作る場でした。日常に飽きた人が、劇場へ非日常を見にいき生きる糧を得る。そういう考え方は今もあるだろうと思います。しかし、私たちの現在は、毎日が非日常みたいなものになってしまった。一億総中流と言われた時代は去り、「一歩間違えば暮らして行けるか微妙だな…。」と思う瞬間が日常のなかにありますよね。私も、今ひどい病気にかかったら破綻するのではないかと思う。日々崖っぷちに立っている感覚があります。そういう毎日に寄り添うような劇場、それが「日常型劇場」です。日常と非日常が並立している日々には「日常型劇場」が必要なのではないでしょうか。

及川:PLAY ART!せんだいの理事を務めてくださっている千田祥子さんは、「公益財団法人 音楽の力による復興センター」(*7)でコーディネーターをされています。そこで震災後、復興公営住宅などでサロン活動を続けていました。震災前は当たり前の日常だと思っていた「音楽を聴く」という行為が、震災という非日常によって崩れてしまった。そのとき音楽は、非日常を日常に戻してくれるものだったのだと思います。文化芸術の力は、そういう側面もありますよね。

実はいまコロナ禍で止まってしまったサロン活動が再開に苦労しているという話もあります。それは少し震災後の状況に似ているような気もしますね。えずこホールでは、震災後いち早く演劇公演をされていましたね。

水戸:そうですね。震災後すぐの4月に行いました。ほとんどの人に反対されましたが、でも、やれることはやったほうがいいのでは?と思い、開催しました。主宰の永井さんもすごくびっくりしていましたね。でも、できればやりたいとお話をすると「とにかく一回いきます!」と来てくださいました。そのまま被災地をご案内して、ではやりましょうと。我々ができる最大のことは、我々の仕事は演劇を育てること。じゃあ演劇をいい形で見てもらうことをやりましょうと。そのときは、無料公演にして開催しました。

及川:その公演に私はいけなかったのですが、そういう劇場があるというだけで、すごく元気になったことを覚えています。

参加者C:私はその公演を観させていただきました。演じる方の、私たちを応援してくださる気持ちがすごく伝わって、すごく感動しました。

水戸:そうですよね。自粛することは簡単なのだけれど、そうではない形で次に繋げていくことが大事なのだろうと思います。

これからのコーディネーターの位置づけ。

あるいは、私たちの闘い方。

及川:地域やアーティストを繋いでいくコーディネーターを、これからどう位置付けていくかが重要になるとお話がありましたが、具体的にはどのように位置付けていける可能性があるでしょうか?

小川:そうですね。闘い方としては3ほど挙げられるかなと思います。

(1)

ひとつは法的に位置づける方法。たとえば、日本国憲法第25条には「生存権」の記述があります。


憲法の中で「文化」という言葉が出てくるのはここしかありません。「芸術」は出てきません。これをもとに権利を主張していく方法が1つだと思います。

春風舎が刊行した『文化的に生きる権利』という本。ここには日本国憲法と文化の権利について詳しく書いてあります。機会があったらぜひお読みいただけたらと思います。

日本国憲法に書いてあるのはここまでですが、もっと広く「文化的権利」を主張したのが、世界人権宣言第27条です。

これをもとに世界的に「文化的権利」が広がっています。これがコーディネーターの堅い存立基盤になるかどうか、というところですね。

それから「こども基本法」の制定も重要でしょう。日本は、「こどもの基本条約」を批准しているのですが、国内法の整備が進んでいなかった。そこでやっと条約の内容に沿った法律ができるのです。コーディネーターと深く関係があるのは、子どもの権利条約の第31条です。

ここには「芸術」としっかり書いてありますから。こどもの文化権を保障するために、法律のほうから攻めていく。そこを足場にしてコーディネーターを動かしていくという動き方はありなのではないかと思います。

(2)

ふたつめは、「ウェルビーイング」を軸に闘う方法です。文化庁が毎年出している「文化に対する世論調査」のなかに「ウェルビーイングと文化芸術活動の関連」について論じた報告書があります。

そもそもウェルビーイングは、どうにかして人々の幸福を数字にできないかと考えたものなのです。つまり、数字や統計でコーディネーターの足場をつくっていく方法があります。

評価や統計に興味のある方はぜひ読んでいただきたい報告書です。

(3)

最後は、私が個人的に気に入っている「タプタプ論」をご紹介します。アーツカウンシル東京の「FIFLD RECORDING vol.03」という論考のなかで、八巻寿文さんが文化芸術をどのように考えるかを記したものが「タプタプ論」です。

面白いのは、表層に見えているものの下にタプタプした地下水のように、見えない文化芸術がたくさん眠っているという論なのです。地下水の例で八巻さんがよくおっしゃるのは、カラオケやよさこい、コスプレなど。アートと言っていいのか、曖昧な俗っぽいものが地下水にあり、そこから何かを引き上げてくるのがコーディネーターなのではないか、という捉え方です。もちろん、アートの高みを目指すのも必要ですし、文化の裾野を広げるコーディネーターも必要ですが、拾ってきたものをちょいと広げてみてしまう。そういうコーディネーターの役割もあるだろうと思います。ぜひ八巻さんの資料も読んでみてくださいね。

法律も数字も論考も、使えるものは全て使うのがいいと思います。これは、ある種の社会運動ですよね。みんなでこういう方向を推し進めていこうという。使えるものを使い、広げられるだけ広げていくしかないと思っていますし、まずそういう場所を作っていくことが必要なのだと思うのです。今回PLAY ART!せんだいのみなさんにお誘いいただき、改めて振り返る機会になりました。このラボをぜひ続けていただければと思います。

及川:ありがとうございます。気づいている人から働きかけ、ゆるやかなネットワークから声を上げていけたらと思いますし、このラボがそんな場所になるといいなと思います。

(*5) えずこホール

宮城県仙南にある、確かな芸術と文化の“創造の瞬間”を共有するための空間。演劇や公演を幅広く展開している。

http://www.ezuko.com/index.html

(*6) ティール組織

個人が自由に意思決定をすることで成長する組織のこと。

http://www.eijipress.co.jp/book/book.php?epcode=2226

(*7) 公益財団法人 音楽の力による復興センター

東日本大震災から2週間後に仙台フィルハーモニー管弦楽団と市民有志によって生まれた復興センター。音楽による復興を目指し活動を続ける。

http://ongaku-fukko-tohoku.jp/