2022.08.02

PLAY ART!せんだい通信<箱のなか、箱のそと> vol.12

●箱そとコラム vol.9「声について」
●PASの箱のなか「演劇情動療法セミナー、おすすめです」 

 

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箱の外側の誰かによる、箱そとコラム。

『生むこと/生まれていること』

箱のそとがわの誰かによる、
なかがわへ向けたコラム、箱そとコラム。
第9回のテーマは、「声について」


 声について、最近よく考えます。本を読む時、わたしは時折、音読をします。詩はとくに読みたくなる。音読をしていると、言葉が目で見ている時とは別の印象を持って、身体を通っていくような感覚があります。
 ちょうど最近、関口涼子さんの『カタストロフ前夜』を読みました。第2章は「声は現れる」というもの。
  “身体そのものの描写をすることはできる。視覚的な要素は描写に向いている。でも、音や声は、すぐにそれと認めることができるのに、描写はほとんど不可能だ。
 わたしたちも、いつかはそのような声となるだろう。耳には聞こえるが、それを発していた器官である身体からは切り離されて。” 
 この章をわたしは音読してみました。かかったのは1時間以上。わたしがそれを聞くときには、これを音読した時間と、聞いている時間が同時に進んでいくのだろうと思うと、不思議な、やや気持ち悪い感じがします。録音された声はわたしの身体を離れて、別の時間を声に持ち続けている。
 別の時間を持ち続けていると感じられるのは、声が鼓膜に波を伝える具体的な事象であるから、とも言えるかもしれません。

 先日、とある滞在先にて一冊の本を音読する習慣をともにして、それに違和感を覚えました。ただ読み物を読むだけならば、こんなに違和感を覚えなかったろうに、なぜだろうと最近考えていました。そしてそれが、黙読よりもずっと身体に直接声はアクセスすることができるからだと気づきました。みなさんもよかったら読んでみてほしいのですが、自分の考えに反する言葉は、読もうとすると、身体が拒否するのがわかるのです。

 わたしは編集者ですが、パソコンに毎日毎日向き合って仕事をしていると、身体から離れていくような感覚があります。けれど、声について考えるとき、いつも思う。わたしたちは身体から離れないようにしなくてはいけない。身体が心地いい方向へいきたい。例えば、身体が拒否するなら、その反応に正直でいたい。違和感を感じるのはきっと頭よりも身体。7月にいった北海道・大雪山。原水が潤沢で、身体に染み込むように冷たく、気持ちがよかった。

(文・写真:熊谷麻那)


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